こんにちは☀️あきはママです。
第三子ふーちゃんの時の妊娠経過記録、今回は中期のことを書きたいと思います。
ツワリと糖負荷試験に苦しんだ前期を経て、晴れて安定期と呼ばれる妊娠中期へ。
ツワリからも解放され、体の負担も比較的少なく、そして流産の確率もグッと下がる安定期、、
本来なら気持ちも上向きになる時期なんですが、、、どちらかと言うと、安定期に入ったことで、不安に押しつぶされそうな気持ちが日増しに強くなっていました。
その理由はやはり前回のせいちゃんの妊娠、、、
あの時、ようやく安定期に入ったー!という喜びも束の間、19週の時に突然の大量出血が起き、そこから26週でせいちゃんが誕生するまで、、どんどん不穏な状態になっていきました。
何の前触れもなく、唐突に訪れた順調な妊娠生活の終わり、、、、
急に出血が起きたあの感触、いきなり真っ赤に染まったソファー。。
ありありと思い出せるがゆえに、、考えようと思わずとも、あの時と同じくらいに出てきたお腹をみると、思い出さずにはいられない。。。
まず繰り返すことはないと言われたcaos。
覚悟を持って妊娠した。
それでも、この不安がなくなることは絶対にない。。
今となれば、ツワリがあった方がまだ気が紛れていてよかった。
安定期に入ってツワリがなくなった分、考える余裕ができてしまったから。。。
毎日、椅子から立ち上がるたびに振り返り、トイレで下着をおろすときは一瞬息を呑み、、
そして、寝るときは「今日も無事に終わってよかった。」と思いながら、、、
1日1日がとても長く感じられました。
しかし、、、ついに20週、、、自分の中で1つの大きなハードルだった19週を超え、20週を迎えることができました。
この時のなんとも言えない気持ち。
もちろん嬉しくて、安堵の気持ちでいっぱいなんだけど、、
それと共に、せいちゃんの時の19週、近所の産婦人科に夜間緊急入院した時の個室でのザワザワした気持ち、20週、不安を抑えきれず大学病院を受診したときの胸の痛み。。
そういった感情が一つ一つ思い出され、安堵と混ざり合った複雑な状態。。。
もちろん19週を超えたからって、出血のリスクが無くなったわけではないし、ここから26週にかけて、せいちゃんとの思い出をなぞらえながらの1日1日は、より複雑な感情になって過ごすんだろうなと、、、
そんな気持ちを抱えたまま、、せいちゃんが亡くなって初めて迎えるお盆。
去年のお盆はまだ四十九日経っていなかったため、初盆です。
そこで、提灯や、せいちゃんが乗ってくる胡瓜のお馬さんはどうやって用意しようか、とその準備で出血リスクやらの不安は紛らわせることができました。
初めてのお盆は用意したお月様を思わせるようなまん丸の提灯の灯りのもと、せいちゃんが帰ってきてるという嬉しさから、すごく満ち足りた日々でした。
正直、恥ずかしながら今まで、お盆はおじいちゃん、おばあちゃんの家に遊びに行く期間と思っていただけだったので、こんなに貴重で、愛おしく感じる期間だということは初めて実感した年でした。
その分、お盆が終わるのが悲しくて悲しくて。。。
京都は五山の送り火という行事があるのですが、コロナ禍ゆえ大の字の5箇所しか点灯されないその姿を見て、
「せいちゃんは初めてのお盆帰り道迷ってしまうかもしれないんだから、ちゃんと大の字全部灯してよ!
五山ちゃんと灯してよ!迷うくらいなら帰らないで、帰らないで、、、」
と、あんなに切ない思いで五山送り火を見るのは初めてでした。。
この時2021年夏、コロナは第5波と言われるデルタ株の厳しいピーク真っ只中。
陽性の妊婦さんが搬送先が見つからず、胎児が早産で亡くなるという、身を裂かれるような悲しいニュースを見て
躊躇していたワクチンを打ち、感染リスクを下げるべく、お姉ちゃんはなるべく幼稚園を自粛して自宅保育をしていました。
しかし、、、、、それが裏目に出たのか、23週の健診時、、、
「子宮頸管が短くなってるかもしれない」
の言葉。。。
今まで順調にきていて、不安との戦いも順調だから、順調だから、と言い聞かせてなんとかしていた中の、この一言は大きなダメージでした。
この時子宮頸管31ミリで、決してすごく短いわけでもないけれど、油断できないしリトドリンを飲んでおこうかということ。
懐かしのリトドリン。
前は点滴でほぼマックス量入れられていたから、顔は熱いし、手はガックガクやし、動悸もすごかったけれど、、
1回1錠くらいじゃ特に違和感なし。
それよりも、コロナに感染したくないための自宅保育が仇となったのか、、、
感染することでの早産のリスクか、3歳児を自宅で毎日見ることで体の負担が増えて早産になるリスクか、、、
どちらを取るべきなのか、誰も答えが分からない。。。
結局ワクチンも打ったことと、京都は妊婦専用の病床を確保したとの情報を受け、お姉ちゃんを幼稚園に行かせ、リトドリンを飲んで安静にする日々を選びました。
せいちゃんの時の第一波とはまた違ったコロナ禍での妊娠生活。
誰にも言えることですが、大きなストレスを持って襲い掛かるコロナ。。。
特に妊婦にとっては、私に限らずみんなすごく神経を尖らせていたことと思います。
そら、出生数も下がるわと。。。
どうにか、どうにか28週、せめて28週。
せいちゃんの時の目標を掲げ、さまざまな不安と闘う中期でした。