あきはママ~薬剤師の子育て奮闘記~

4歳の女の子と26週5日で産まれた874gの男の子、そして今お腹にもう一人。ブログは第二子のことがメインです。妊娠中期、出血。切迫早産→慢性早剥羊水過少症候群(caos)。

切迫早産34ラスト〜退院〜

こんにちは☀

 

あきはママです。

 

今まで長らく切迫早産レポにお付き合いくださり、ありがとうございました。

 

思えば、ブログを始めようと思ったきっかけも、切迫早産(その頃はまだ19週だったので、切迫流産でした)により自宅安静になり、空いた時間で何かできればという思いからでした。

 

その当時は、軽い出血だけの症状で、当時のかかりつけ医も

 

「こんなん大したことない」

 

と言っていたため、

 

まさか

 

切迫早産のレポートがこんなに長く、

 

また激的に変化していくことになるとは、

 

夢にも思いませんでした。

 

今までの闘病記録を振り返りながら、、

 

ついに、、退院の日です。

 

 

 

 

術後7日目

 

私にとっては、丸々4週間お世話になった病院最後の1日ですが、なんてことなく、日常通り、病棟の1日は始まります。

 

いつも通り6時に電気が付いて

 

検温、血圧測定

 

朝ごはん

 

チームドクターたちの回診

 

「どうですか?あきはママさん、術後痛みがひどくなったりぶり返したりしていないですか?」

 

『はい。おかげさまで体は順調に回復しています。』

 

「そうですか。それはなによりです。

今日で退院ですね。お気をつけて。」

 

さらーっとした会話。

 

ひとチームでかなりの患者さん数受け持っている、かつ、1日2回も回診があるため、

 

部屋に入ると共に足は出かかっているようなときもある回診。笑

 

今日もいつも通りで安心しました。

 

今日は少しでも特別な言葉、何かしらの温かい言葉を受けるとすぐにでも涙が溢れてくる気がしていたので。。

 

朝イチで、いつも通り母乳を持ち、NICUにも行きました。

 

息子の容態は横ばい。

 

酸素濃度も80%で夜から変わらずです。

 

今までは70%まで下げられることも多かったんですが、、

 

 

ただ、穏やかで、安定している様子の息子を見て、ひと安心。

 

 

部屋に帰って荷造り。

 

長期滞在の間にすっかり荷物はいっぱいです。

 

 

差し入れに持ってきてもらった

 

ご飯や朝のパンがより食べ進むようにと、ふりかけやピザソース

 

シャワー制限のため、少ししか消費できなかった家庭用ボトルのシャンプーやボディソープ

 

病院でもらったお産セット

 

この入院でもらった資料をまとめたファイル2冊

 

etc···


f:id:akihamama:20200327192223j:image

 

 

溜め込んだなー笑

 

 

最後、事務さんから会計の話があって、

 

 

NICUに母乳を届けに行って

 

 

息子にも、、なるべく、、さらっと挨拶

 

 

ママまた明日すぐ来るからね。

 

心配しなくても毎日会えるからね。

 

ママがいないときも優しい先生と看護師さんがいるから、ゆーっくり、楽ーに過ごすんやよ。

 

 

すぐ涙が出てくるから。

 

 

私より息子が心配しちゃう。。

 

 

不安にさせないように、、

 

 

泣かない泣かない。。

 

 

 

そして

 

退院のとき

 

助産師さんが大量の荷物を持ってくれます。

 

めーっちゃ重そう

 

ナースステーションの横を通るとき

 

 

「あきはママ退院しまーす」

 

 

と大きな声で伝えてくれました

 

 

おめでとうございます。

 

と次々に声が。。

 

今まで

 

散々お世話になったスタッフの方たちがみんな微笑んで

 

おめでとう

 

と言ってくれる。

 

どんだけ冷静になろうとしても

 

ありがとうございます。

 

お世話になりました。

 

うまく言葉にできません

 

結局、

お世話になった看護師さんに見送られて

 

 

泣き泣きの退院

 

 

まあ、、

 

そうなる気はしていましたが。。笑

 

 

やっぱりもう今のこの涙腺では、泣き泣き退院不可避です。

 

 

旦那はめーっちゃ重い荷物持ってるので、泣き泣きの私を支えてくれようとするも、

 

両手共に全く余裕無し

 

泣き泣き&大荷物フラフラの二人組で退院しました。

 

 

久しぶりの娘

 

1ヶ月ぶりの自宅

 

あれ??床こんないろやったっけかな?

 

色々新鮮。

 

母が来てくれて、昼ごはんを作って待っていてくれました。

 

久しぶりの母の味

 


f:id:akihamama:20200327194501j:image

 

ほっこりしたところで

 

自宅に帰ってきた気の緩みからうたた寝

 

このあとのメインイベントに備えなければ!!

 

 

夕方になり

 

ついに保育園から娘の帰宅です。

 

おばあちゃんがお迎え、、

 

「ママがいるよー」

 

とは道中聞いていたようですが、

 

帰ると本当にママの

 

おかえり

 

の声

 

見る間に満面の笑顔になり

 

 

「ママよー」

 

「ママいるよー」

 

 

と大はしゃぎの娘

 

喋れる言葉もこの入院期間中にたくさん増えていて、

 

半分くらい何言ってるか分からないけど、笑

 

とにかくママにいーっぱい聞いてほしい様子

 

 

ひっついて、ひっつき倒して

 

 

かと思ったら急に機嫌悪くなって

 

 

どうしたのかと思ったら、

 

 

「ママだっこ」

 

 

ソファに座って膝に乗せるも

 

 

「ちがうーちがうー」

 

で、結局

 

首が座る前の赤ちゃんにするみたいに

 

横抱きにすると落ち着きました

 

そして

 

そのまま寝てしまいました

 

 

退院したら上の子嬉しくて赤ちゃん返りしちゃうかもね

 

 

とは看護師さんたちに言われていましたが

 

 

こんな綺麗に赤ちゃん返りするとは

 

 

ママの腕に抱かれて心底安心したんだと思います。。

 

 

やっぱり

 

 

不安だったよね。

 

 

出してなかったけど

 

 

我慢してたよね。。

 

 

入院期間を気丈に乗り切ってくれた娘

 

 

寂しかった分を少しでも埋めればと

 

 

そのままたくさんぎゅーっとしてあげました

 

 

その日はそれからも娘のテンションは上がりっぱなし

 

 

 

ママがいない期間、、

 

色々ないやいやも受け止め、お世話に明け暮れ、

 

あれだけ親密度をあげたパパ、、、

 

その日はあっさり捨てられ、

 

少し寂しそうでした。笑

 

 

 

切迫早産33〜術後4ー6日目 回復していく体と一進一退の息子〜

こんにちは☀

 

あきはママです。

 

長かった入院生活もそろそろ終わりが見えてきました。

 

術後の経過を綴ります。

 

 

 

術後4日目

 

術後4日目になると、だいぶ痛みも和らいできました。

 

しかし、やはりまだ痛みに耐えて動くのが怖かったため、ロキソニンは切れる前に6時間毎飲んでいました。

 

術後は抗生物質の点滴が1日3回で投与されます。

 

長期に渡る入院生活で私の血管はもうボロボロでした。

 

青アザになっているところもありましたし、もう血管が弱ってすぐに漏れてしまうようになっていました。

 

本来は1回針を入れて、ルートを取れば、その先に点滴の薬を付けていく形を取ります。

 

しかし、私の血管はそれではすぐ漏れてしまってもたないため、都度針を刺して点滴してもらっていました。

 

入院してから計30回は指したのじゃないかと思われる腕

 

術後4日目にして、ついにラスト1回が終わりました。

 

それに引き続き、シャワーの許可もおりました。

 

私の体は徐々に解き放たれていきます

 

点滴からの解放、痛みの緩和、サッパリした体

 

しかし、それに対して息子の容態はそこまで芳しくありません。

 

酸素濃度の値は相変わらず行ったり来たりです。

一進一退。

 

脳の出血や、気胸という大きなトラブルが起きていないのがまだ救いです。

 

 

術後5日目

 

心配で何度もNICUに通っていたのですが、今度はをやってしまいました。

 

理学療法士さんが言っていたのですが、1週間の寝たきりで筋力は10〜15%落ちるとのこと。

 

私は、1ヶ月自宅安静からの1ヶ月入院で、体の筋肉はいったい何%落ちていたのでしょうか。。

 

そんな弱りきった筋肉に、術後のお腹を庇うような、無理な姿勢を強いていたのであろう腰がついに悲鳴を上げました。

 

腰が痛くて座っていられません。

 

食事時も電動ベッドに常にもたれていないと食べられない。

 

せっかくNICUに行っても、10分ほど経つと耐えられなくなり、またすぐ戻らないといけなくなる。

 

そんな私を助けに来てくれたのが、産前からちょこちょこ顔を出してくださっていた理学療法士さんです。

 

弱っている腰の筋肉のマッサージをしてくれ、(パッツパツに張っていたのは腰方形筋というらしいです)

ストレッチの仕方&腰に負担をかけない歩き方・座り方を指南してくれました。

 

おかげさまでなんとか生活できるようになりました。

 

 

息子の方は、なんとか最初の勝負と言われていた3〜5日をクリアしました。

 

脳や心臓に対するリスクは少し減ったと聞いてひと安心。

 

まだ肺に関しては劇的な改善は見られないけど、少しずつ良い方向には向かっているかな。

 

と言ってもらえて腰の痛みも忘れることができました。

 

 

術後6日目

 

ついに翌日退院ですが、また息子の容態が芳しくありません。

 

酸素濃度を下げても、またすぐ悪化して、酸素濃度上げざるを得ない。。

 

の繰り返しです。

 

一歩ずつ、一歩ずつ

 

と自分に言い聞かせるも、

この状態で私は息子を置いて退院しないといけないと思うと、、

 

なんとも辛くてまた涙が溢れてきます

 

退院すれば、自宅から病院まで電車を乗り継いで1時間はかかります。

まだ万全とは言えない体にその往復が毎日できるのか。。

 

産後の肥立ちは大事だよと皆に言われます。

 

無茶して体調壊したり、母乳が出なくなったら意味がない。。

 

自宅にいきなり戻らずとも、病院から徒歩10分のところに実家があります。

そちらに最初は戻って病院帰りをし、体力が回復したら自宅に帰ろうか。。

 

しかし1ヶ月を超えた入院生活、途中からは面会制限もあり、もう2週間丸々ママに会っていない娘。

 

娘ももう限界です。

 

体力の回復に努める&頻回に息子に会いに行くなら実家

娘の精神的な安定を考えるなら自宅

 

悩みに悩んでループして、、

娘にも息子にも触れていたいし、自分も回復しなきゃいけないし

 

NICUでどうしていいか分からずまた泣いていると、臨床心理士さんがわざわざNICUまで来てくれました。

 

話を聞いてもらってるうちに、、

少しずつ頭の中が整理できてきました。

 

やはり、

 

自宅に帰り、自分の体力の許す限り、娘と遊び、息子に会いに通う

 

そして自分の体力がダメだと思ったら早めに軌道修正する

 

この状態で自分のこと取るっていう選択肢を母が選ぶのは難しいよ

でも、やっぱりあきはママさんの体も大切にしてほしいっていう気持ちは私も持ってるよ。

やし、まずはやってみて、どうしても無理だったら体のことを優先してあげて。

あきはママさん、前大部屋で情緒不安定になったときも、すぐに個室に移動したでしょ。

あのときの切り替えを見て、強い人だって安心したよ。

無理だって思ったら、また早めに良い方向に切り替えれると思う

とりあえずやってみよう。」

 

と言ってくれ、やっと決心が付きました。

 

息子にその夜は心ゆくまで会って

 

ママのいないときも、ゆっくりゆっくり、楽ーに過ごしておくんだよ。

ママすぐ会いに来るからね。

好きだよ。大好きだよ。

 

と語りかけ続けました。

 

 

 

 

 

切迫早産32〜術後2ー3日目 自力でNICUへ。とめどない涙〜

こんにちは

 

あきはママです。

 

帝王切開術後の経過とNICUでの息子について書いていきます。

 

 

 

術後2日目

 

まだお腹はズキズキと痛みます。

 

相変わらず寝返りするにもいっぱいいっぱいなレベル。

 

それに加え、初乳を出すというお仕事もあります。

 

まだ自分で搾乳できるレベルには回復していないため、

助産師さんが搾ってくれます。

 

完全に寝たまま、どうぞなんとでもしてください状態。

 

しかし、26週で生まれても、体はその瞬間に母の体に切り替わるんですね。

 

母乳はしっかり出てくれました。

 

しかし、それにより子宮が収縮して後陣痛の痛みには顔をしかめないといけませんでした。

 

朝にNICUまで歩いていってみました。

 

病棟を出て、エレベーターに乗り、

 

痛みと戦いながらの長い道のりでしたが、

 

産前ずっと

 

安静に。最低限の洗面、トイレだけの移動にしておいてください。

 

と、散々歩いてはいけないと言われていたのが、

 

今は

 

辛くてもなるべく歩いてください。

 

に変わったため、

 

 

歩いて良いんだ!しかも歩けば歩くほど良いんだ!

 

 

と、自分で、自分の行きたいように歩けるのが嬉しかったです。

 

しかも向かう先は最愛の我が子

 

NICUのスタッフの皆さんは、私が帝王切開後2日目にして歩いてきたことで焦っていらっしゃいましたが、

 

もう自分の体よりも気になるのは我が子の容態。

 

旦那も先に来ていて、一緒に我が子を眺めました。

 

昨日と変わらず、一生懸命外の世界に慣れようと、生きる力を感じさせる姿でした。

 

ドクターが前日に説明していた、気胸や脳内出血などの大きいイベントが起きていなくて安心しました。

 

部屋に戻って

 

ドクターの説明。

 

肺のサポートは相変わらず最大限であるが、昨日より少しは改善が見られる

・とりえずは大きな悪いイベントは起きていないけど、相変わらず予断を許さない状況

 

とのこと。

 

昨日から怯えていた情況には陥っていなくて、まずは安心しました。。

 

その後、午後に会いに行くと吸入酸素の割合も少しずつ下げれている様子。

 

順調に回復している兆しが見えて、この日は安心したものです。

 

 

術後3日目

 

この日も朝からNICUへ。

 

酸素濃度は最大限のサポートが必要と言われていた100%から70%まで落ちていました。

 

夜間に悪いイベントも起きていなかったようで、安心して部屋に帰りました。

 

そこから旦那が来て、ドクターによる容態説明

 

さっき見た安定した姿とは打って変わって良くない報告が。

 

・順調に酸素濃度を下げていたけれど、急に不安定になり、酸素をまた最大限の100%に戻してなんとか落ち着いた。原因は不明

心臓に負担がかかっていて、血圧が高い状態。このままでは心臓、肺、脳全てにとって良くないため、血管拡張薬を使い、なんとか様子を見る。

 

 

朝、あんなに元気だったのに。。。

 

なんで。。。。

 

 

「いつも順調に回復していくとは限らないです。一進一退しながら、確実に前に進んでいけるよう努めています。」

 

と、ドクターは言ってくださりましたが、

 

やはり、覚悟はしていたとしても、

 

順調に回復していっている✨

 

と、楽観視していた心にはかなりのダメージを与えてきました。

 

泣いていても始まらない。

 

泣くまい、泣くまい、といくら頭で考えても流れてくる涙。

 

 

我が子の顔を見ていないときも流れ、

 

 

我が子の姿を見ているときでも流れ、

 

 

産後のホルモンバランスの乱れと相まってか、常に流れ出る涙。

 

産前の情緒不安定時に流していた涙とは違う涙でした。

 

あのときは悲しさや、やるせなさなどマイナスな感情がただただ襲ってきて泣いていたのですが、

 

今は頭で考えずとも涙が流れる。

 

感覚的に言うと、、

 

しんどくない涙

 

です。

 

いっぱい考えて、いっぱいいっぱいになって流す涙と違い、

 

全てのことに反射的に涙が出ます。

 

ぼーっと。流れる涙をそのままにすることにしてみました。

 

感情もほぼ失って、なんとか我が子の側にいて触れていてあげること、それと自分の体の回復に努めました。

 

しかし、また大きく感情を揺さぶられる出来事が。

 

お祝い膳

 

その日の夕食はお祝い膳でした。

 

お祝い膳が出るのは知っていましたが、3日目で出てくるとは。

他の入院患者さんとの兼ね合いだと聞きました。

 

この不意をつかれたお祝い膳に、感情を失っていた心がまた揺さぶられました。

 

お祝いの言葉と、綺麗に彩られたおかずに、お赤飯。

 


f:id:akihamama:20200325094358j:image

 

今回の出産は、どちらかというと、

 

早くに産まざるを得なかった

 

ものであって、お祝いするような、そういう空気ではありませんでした。

 

産後も常に襲いくる不安と謝罪の気持ち

 

 

辛くていろいろ考えるのをやめてしまった心

 

 

そんな中に出されたお祝い膳は、普通に分娩した人と同じく、

 

純粋に「出産おめでとう」と「お疲れ様でした

 

と語りかけてくれました。

 

 

ああ、、、私、、ちゃんと出産したって認められて良いのか。。

 

 

どうしても、誰から直接言われても、どこか心の底から聞き入れることができなかった

 

「おめでとう」と「お疲れ様」

 

なぜか、このお祝い膳で初めてすっと私の体に入ってきてくれました。

 

まだまだ食欲が復活している段階ではなかったのですが、

 

この日のお祝い膳はほとんど食べました。

 

毎日揺れ動き続ける息子の容態と私の情緒。

 

二人で一緒に一歩ずつ、前に進んでいけたらと思います。

切迫早産31〜術後1日目 この痛みで歩くの!?&初めてのNICU〜

こんにちは

 

あきはママです。

 

帝王切開レポに対して、みなさまスターなどくださり、ありがとうございます。

 

退院するまでの経過、もう少しだけ切迫早産レポとしてお付き合いください。

 

 

 

少しでも動くと痛い

 

帝王切開手術の翌朝

 

痛い。。。

 

何って痛い。

 

少しでも足を動かしたり、体を横にずらそうとすると痛いし、

 

かといってずっと同じ姿勢で寝たきりだと背中が痛いし。。

 

 

なんだこれは。。

 

 

帝王切開に対して全然調べてなかったので

 

ここまで術後辛いとは思いませんでした。

 

痛み止めの点滴は入っているけど、、効いてるの?これ?状態

 

 

ただ、確か術前に

 

辛いけれど、翌日から歩いてもらうね。

歩けば歩くほど、傷にとっては良いから。

 

と看護師さんが言っていたのを思い出し。

 

何しても痛いなら、いっそ早く歩くでもなんでもして、傷口回復させたい!

 

こんな状態じゃNICUの赤ちゃんにも会いに行けないし、、

 

とりあえず早くなんとか!!!

 

 

歩行開始

 

10時に看護師さんが来て、歩行練習が始まりました。

 

まず、ベッドから床に足を下ろして座るところから。

 

電動ベッドのリモコンをフル活用して、なんとかまず、ベッド上で起き上がろうとしますが、

 

それすらもいっぱいいっぱい。

 

これだけの動作になぜここまで汗をかかないといけないのか。

 

1cm動かすごとにすごい汗。

 

足を片方ずつ床に下ろすときがマックスで汗だく。

 

なんとか両足を床に下ろしたところで、すでにやりきった感。

 

 

次は、ここから立ち上がる!?

 

立ち!?

 

かつ上がる!!?

 

この痛さで意味不明。

しかしやらねばなりません。

 

点滴の支柱と看護師さんの介助ありでなんとか立ち上がり、

 

なんとか個室内のトイレまで歩行完了。

 

お腹は伸び切らず、くの字だし、足はプルプル。

 

 

やりきった。。。

 

 

ベッドに再度寝るのも一苦労で、、やっと終了しました。

 

 

次からは一人でトイレへ

 

トイレまで行くという過程が一連できたとみなして、

 

え!!?今ので!!!??

 

導尿管が抜かれました。

 

これで、次からは自力でなんとかトイレに行くか、漏らすかの二択です。

 

 

この歳で無様に漏らしたくなかったら、なんとか歩いていけ

 

 

と、もはや脅迫まがいのリハビリや、、と恐怖を感じました。

 

でも、、、やはり漏らすのは嫌だったので、10分ほどかけて、、ゆっくりゆっくりなんとか一人でトイレに行きました。

 

 

NICUドクターの説明

 

トイレに行くだけで汗だくになっていると、NICUドクターと旦那が来て、赤ちゃんの容態について説明会が始まりました。

 

・昨日説明していた肺の状況が思ったよりも悪く最大限のサポートを必要としている

 

・おそらく羊水がない時期が長かったことに加えて、血液混じりの羊水をずっと飲んでいたことにより肺が炎症を起こしているのが原因

 

・肺に対してかなり強いサポートをしていることで、気胸や、心臓、脳に対するリスクも高くなっている

 

とのこと。

 

必死に必死になんとか痛みを克服し、NICUに行こうと励んでいたところ

 

この良いとは言えない報告に、また涙はボロボロ

 

頑張る気力も削がれる気持ちになってしまいました。

 

でも

 

NICUスタッフはできる限り最適なサポートをし続けます。

しかし、パパとママが来て触れてあげたり、声を聞かせてあげるだけで、

赤ちゃんは最も安心します

私達には無い力を持っていらっしゃるので、できる範囲で会いに来てあげてください。」

 

と受け、

 

やはり

 

何が何でも会いに行かなきゃ

 

ここで痛みと報告にしょげていても何も、何も始まらない

 

旦那に先にNICUに行ってもらい、

 

なんとかんとか車椅子に乗せてもらい、NICUへ。

 

 

初めてNICUで見た我が子の姿

 

事前に説明を受けていたとおり、初めてNICUで見る我が子は

たくさんのチューブに繋がれていました。

 

「これが胃に繋がっていて直接母乳を流すチューブ

これは酸素を送り込むチューブ

CO2を測る機械、血液検査用に動脈血に繋がるチューブ」

 

一つずつ、看護師さんが丁寧に説明してくれます。

 

 

予定日より3ヶ月早く

 

874gでこの世に生まれ

 

肺が大きなダメージを負った状態で

 

外の世界での適応を余儀なくされた我が子

 

すごく、すごく逞しかったです。

 

涙が次々に出てきました。

 

こんな小さい姿で生んでしまって申し訳ないという思い、

 

最初から呼吸苦しくこんなにも頑張らないといけないのが可哀想

 

もちろんその思いもあります。

 

ただ、それを超えて

 

生きる姿が美しく、神秘的で、

 

生きていてくれることにただただ感動しての涙

 

 

痛い痛いと騒いでいる場合ではないと確信しました。

 

 

この子と一緒に、ママも一歩ずつ前を向いて歩いていかなきゃ。

 

 

帰って、普通食のお昼ごはん

(お粥とかではなくいきなり全力分娩食)

 

なんとか食べれるところまで食べました

 

少しでも早く回復して

 

たくさん栄養のある母乳出して

 

赤ちゃんに会いに行かなきゃ

 

切迫早産レポ30〜帝王切開当日〜

こんにちは

 

あきはママです。

 

長きに渡る切迫早産レポ、お付き合いくださり、ありがとうございました。

 

最初の出血から53日

破水して21日

入院期間 計32日

 

ついに、赤ちゃんを出すタイミングが来ました。

 

 

 

今日がベストのタイミング

 

26w5d

 

夜中寝ているといつもより強いハリで何回か目が覚める。

すごく痛いわけでもないけれど、明らかにいつもよりはしっかり張っている。

 

。。。一時的なものかな。。。

 

2〜3回うっすら目が覚めましたが、寝れないほどの痛みではないため、そのまま寝続けました。

 

朝のモニター、ハリの間隔は5〜6分ですが、その1回1回が少し強くなっていることを報告。

 

その後の診察で

 

・子宮頚管長が2.5cm(前日までは4.5cm)

・子宮口が開いてきていて、赤ちゃんの頭が降りてきている

 

とのこと。

 

一度部屋に帰るよう言われて、待機。

 

しばらくして、担当のチームドクターが2人やってきました。

 

「あきはママさん、そして赤ちゃん、よくここまで持ちこたえました。

ただ、そろそろ限界かもしれない。

今すぐ産まれるというわけではないけれど、ここから痛みが強くなってきたら緊急帝王切開になる。

羊水が少ない分、これ以上ハリが強くなったら赤ちゃんにも負担が大きいし。

無理なく出してあげるためにも、今日出してあげるのがベストだと思う

帝王切開するね。午後イチで。

旦那さんにも連絡してもらっていい?」

 

この数日散々帝王切開をほのめかされていたので、

 

 

ああ。ついにきたか。。

 

 

としかそのときは思いませんでした。

 

 

手術前の準備

 

あと3時間後に迫った帝王切開

 

とりあえず旦那にすぐ来てほしいと連絡。

また、母に今日の娘の保育園のお迎え&何かあったときのために、そのまま自宅に泊まる準備をしてほしいと電話。

 

あとは、点滴を変えたり、術着に着替えたりと、あれよあれよと準備が進んでいきます。

しばらくシャワーも浴びれないから、とシャワーも浴びさせてもらいました。

 

そのときに自分のお腹を見て

 

大きくなったな。

 

と。

 

もちろん、上の娘のときは最後もっともっと大きく膨らんでいたお腹。

 

でも、予定日より3ヶ月早くても、推定体重が1000g無くても

 

確かに日々成長して大きくなった我が子がお腹にいました。

 

 

大きくなったね。頑張ったね。もう少しで会えるね。

 

 

と、声をかけてあげました。

 

 

12時前に旦那到着。

 

 

多くを語らない旦那です。

 

 

一言、

 

 

今まで、長く赤ちゃんをお腹の中で育ててくれてありがとう

 

 

と言ってくれて、あとは手を繋いでいてくれました。

 

 

12時半

MFICUで担当になってもらうことが多く、仲の良かった看護師さんが応援に来てくれました。

いつもどおりの明るい口調、笑い混じりの激励。

横にいた看護師さんに

 

「お腹張るからあんまり笑わせたらあかんって」

 

と注意されていました。

 

MFICUからわざわざ応援に来てくれた気持ちが、ただただ嬉しかったです。

 

 

13時半

 

ついに手術開始です。

 

車椅子で移動。

 

そこには、この病院での約3週間の入院でお世話になった、たくさんの看護師さんの顔が。

知った顔が微笑んで迎えてくれて、

自分でも気づいていなかった緊張の糸が緩んだのか、涙が溢れてきました

 

 

手術台に上り、手早く周りで準備が整えられていきます。

 

担当はずっと見守ってくれてたチームドクター。

 

何の不安もありません。

 

 

手術前麻酔

 

下半身の麻酔を打ちます。

 

ぼんやりした知識で、この麻酔が痛いと聞いたことがあったので、身構えていました。

 

しかし、あっという間に終わり。痛みはほぼありませんでした。

 

先生がとても上手だったのか、 

もしくはこの一ヶ月散々注射をし続けて、体が針に慣れたのかもしれません。

 

氷を体に当てて、麻酔が効いているかの確認。

 

数回行い、しっかり効いていることを確かめたところで

 

よろしくお願いします

 

の声と共に手術が始まりました。

 

 

手術中

赤ちゃんが産まれるまで

麻酔が効いているため、痛みはもちろん無いですが、何か自分の体の奥がムニムニ触られている感触。

 

出てくる赤ちゃんが26週、1000g無いだろうとのことで、小児科の先生がたくさん待機。

 

小児科のスタッフだけで10人はいらっしゃいました

 

その様を見ていると、私もかなり緊張するのですが、顔見知りの助産師さんたちが、その空気を打ち破るかのように、明るく話しかけ続けてくれていました。

 

「あきはママさん、〇〇さん(助産師さん)が面白いこと話してくれるって。」

 

「いや、それはハードル高いから逆に無理なやつですよ。無茶振りは良くないと思います。ね。あきはママさん。」

 

というように、笑

 

私でも、

 

え?手術中にこんなにちょけてていいの?笑

 

と思ったくらいでした。

 

でもそのおかげで、過度に緊張すること無く、ついにそのときを迎えます。

 

 

担当ドクター

 

「あきはママさん、子宮切るね。今から産まれるよ。」

 

と私に声をかけてくれ、

 

その後

 

みなさん、赤ちゃん産まれます。よろしくお願いします。

 

と言い、空気が見てわかるほどピリっと張り詰めました

 

 

その直後

 

 

「ふみゃあ」 

 

 

と、まるで子猫みたいな泣き声で赤ちゃんが産まれました。

 

 

赤ちゃんが産まれた直後 

赤ちゃんは産まれてすぐに、小児科の先生たちにより、素早く様々なサポートが行われていました。

 

あまりの人の多さに私の位置からはあまり赤ちゃんが見えませんでした。

 

ただ、助産師さんたちが、

 

「産まれて直後の処置が終わったら絶対赤ちゃんこっちに連れてきてくれるからね。

小児科の先生たちの迅速で間違いない処置中だから安心して待っていてね。」

 

と声をかけ続けてくれたので、焦ること無く待ちました。

 

しばらくして、

 

保育機に乗せられ、酸素チューブを挿入された赤ちゃんが、NICUに運ばれる前にこちらに寄ってきてくれました。

 

お顔もちゃんと見せてくれました。

 

 

小さい赤ちゃん、でもちゃんと人の形をしていて、、

 

一生懸命生きていました。

 

 

『こんにちは』『ありがとう』

 

とだけ伝えました。

涙でなかなかそれ以上の言葉はでてきませんでした。

 

そのまま赤ちゃんはNICUに運ばれていきました。

 

 

後処置&縫合

 

その後はドクターたちが淡々と傷口の処置をしてくれていました。

 

何気ない話から、コロナウイルスの話など、

 

赤ちゃんが出る前までに醸し出していた空気感とは打って変わって、

 

緩やかなムードの中後処理が行われていました。

 

内臓の奥をぐにぐに押される感じ。

 

 

少し気持ち悪さが出てきました。

 

 

しかし我慢できる程度

 

でも、それからしばらくすると

 

 

あれ??痛い??

 

 

徐々に痛気持ち悪い感じが強くなってきました。

 

ドクターたちも私のちょっとした体の反応で気づいたらしく

 

「もしかしてあきはママさん痛みでてきてるかな?」

 

『はい。。ちょっと痛い気がします。』

 

と答えた次の瞬間。

 

ちょっと痛いが結構な痛さに変わってきました。

 

『あ!やっぱり結構痛い気がします。』

 

と言うと、

 

「よし、吸入麻酔しよう。大丈夫。寝てる間に終わるよ。」

 

と、甘い匂いのするマスクを付けてくれました。

 

「はい、大きく息を吸って、吐いて」

 

と言っている間に痛みが強くなってきたことで軽くパニックの私、

 

 

まずい、痛い、痛い、まずい、間に合わない

 

 

と慌てているうちにいつの間にか意識を失っていました。

 

 

手術終了

 

次に目覚めると手術が終わったところでした。

 

16時半、執刀から2時間半経過していました。

 

13時半に部屋を出ていくときに、看護師さんが

 

「この部屋に帰ってくるのは全部合わせて2時間後くらいかな」

 

と言っていたんですが、3時間経っていることから、手術時間が少し長かったのかもしれません。

 

後から聞いた話ですが、

 

羊水がほとんど無い状態での執刀、下手をすると赤ちゃんを傷つけることになるので、切る前の状態確認にかなりの慎重さを要したそうです。

 

それが手術時間が長引いた原因だったとのこと。

 

 

吸入麻酔明けでぼんやりする頭に

 

吐き気と痛みが襲ってきます

 

部屋に帰って旦那が、お疲れ様、と声をかけてくれるも

 

喋ることができないくらいいっぱいいっぱいでした。

 

術後直後にこんなに苦しくなるとは想定外でした。

 

痛み止めの点滴を入れてもらい、しばらく全力で体が落ち着くのを待ちました。

 

 

ようやく少し話せるかな、となったときに小児科のドクターたちが来てくれました。

 

 

赤ちゃんの状態

 

産まれた赤ちゃんは

 

・874g

 

・肺の状態がかなり良くない

 

とのこと。

 

やはり長期に渡って羊水が少ない状況が続いたのが原因みたいです。

 

脳からの出血のリスクなども考えると

 

 

ここ3〜5日が勝負

 

とのこと。

 

ぼんやり、気持ち悪い、痛い、

 

そんな中で、

 

やっぱり元気な状態で生んであげれなかったんだな。。

 

と、改めて認識しました。

 

詳しいNICUの説明はひとまず旦那に任せて、

 

あとは赤ちゃんの状態を思い、自分の気持ち悪さと痛みがひどく、

 

どうしても止まらない涙を流し続け、その日は終わりました。

 

切迫早産29〜毎日ほのめかされる帝王切開〜

こんにちは☀

 

あきはママです。

 

切迫早産レポ、帝王切開に至るまでの過程、あと少しだけ書かせてください。

 

 

担当医悩む

 

26w2d、個室に移動した翌朝

 

激しく乱れていた情緒も、個室への移動によりかなり安定しました。

 

ブログのデザインをいじってみたり。

友人と連絡を取り合ったり、、

 

と、かなり余裕で過ごしていたのですが、

 

午後にまたハリが復活。。

 

そこそこの強さのハリが5分間隔で襲ってきました。

 

また急いで内診。

 

ただ、内診結果としては、変化無し

 

子宮頚管はまだ十分あるし、昨日開きかけてるかな?と思われた子宮口も、どちらかというと、逆に閉じているとのこと。

 

 

しかし、昨日に引き続き、連続で規則的なハリが襲っていることで、いつ陣痛に繋がるか分からないギリギリのライン。

 

担当のドクターは非常に悩んでいる様子でした

 

「今日は旦那さんすぐ来れるかな?

もし、このハリが収まらず続いたり、、

血液検査の値で炎症反応が出ていたら、

いよいよ今日かなと思うから。。

一応心の準備しておいてね。」

 

とのこと。

 

旦那は上の娘の世話もあるため、帝王切開の実施が確定するまでは念の為待機してもらうよう連絡。

 

あとはひたすら病室でハリが収まるのを願い待つ。。

 

結果

 

またハリは引いていきました。

 

炎症反応、血液検査によるCRPの値も全く問題無し。

 

帝王切開の実施は踏みとどまれました。

 

毎日ヒヤヒヤの日々です。。

 

 

その日の夜、ハリが復活しないことを祈って寝ました。

 

 

近いうちの帝王切開予告

 

翌日の26w3d

 

また昨日のハリが嘘だったかのような爽やかな朝。

 

体調は随分持ち直して、日中また全然ハリが酷くなることもなく、ゆっくり過ごしていました。

 

ただ、チームドクターの回診で

 

「連日ちょっと陣痛かな?っていう怪しいハリが増えてるから、

なんとなく今週中辺りが危ないかな。

また持ち直す可能性も十分あるんだけど、念の為心の準備しておいてね。」

 

と改めて帝王切開が近いことを告げられました。

 

今日は安定しているのにな。。

またハリが出てきちゃうのかな。。

 

と、ハラハラした、1日でしたが、結果丸1日定期的なハリは出てこずでした。

 

 

すっかり落ち着いて気分も明るく

 

26w4d

 

もうすっかりあの連日のハリは過去の話✨

この日も余裕をもって、ゆるりとしていました。

 

先日の情緒不安定だった話を聞きつけ、臨床心理士さんが来てくれたり、

長期入院による筋力低下に備えるため、理学療法士さんがリハビリをしに来てくれたり。。

 

たくさんの人と話す機会があり、気持ちの整理もできましたし、気分も明るくなっていました

 

 

診察の結果も悪い変化は無し。。

 

子宮頚管長さ十分子宮口閉じている

・腹部エコー、羊水量は相変わらず。

赤ちゃんの周りには見られないけど、膀胱と胃に水分が溜まっているのが分かるから、最低限作って出してるのかな。

・推定体重は905g

 

とても落ち着いて、安定しているように思いました。

 

昨日先生たちは

「今週中にも帝王切開が近い」

って言ってたけど、むしろすごく心も体も落ち着いてるし✨

 

 

この調子でいけば28週という次の目標も全然夢じゃないのでは?✨

 

更に29週に突入して4月を越えるっていうもうひとつの目標すら楽勝なんちゃう?✨

 

3ヶ月以上早産で学年もギリギリ繰り上がりじゃ、色々大変かもやしなぁー。。

 

 

と、かなり前向きに考えていました。

 

面会制限を告げられた4日前から荒れに荒れていた精神状態が、MAXまで回復していたときです。

 

しかし、、翌日無情にもそのときはきました。

 

 

こぼれ話


f:id:akihamama:20200322180624j:image

 

しょうもない後悔

 

26w3d 選択メニューで焼き肉をチョイス。

入院生活しばらく見なかった『焼き肉』の文字に興奮。

食べてから、『そういえば、焼き肉食べたら陣痛くるっていうジンクスあったような。。やばい。。なんでこれ選んじゃったんだろ。。』

 

と激しく後悔しましたが、その日は陣痛来ませんでした。

結果、焼き肉食べて数日後には産まれることになったのですが、、

このせいかどうかは分かりません。

ジンクスやとは分かっているのですが、しょうもない後悔です。

切迫早産28〜情緒不安定によるハリの復活&お部屋大移動〜

こんにちは☀

 

あきはママです。

 

帝王切開に至るまでの過程、、

もうしばし切迫早産レポお付き合いください。

 

 

大部屋に移動

 

26w1d、情緒不安定なまま、ついに大部屋に空きが出たということでお引越し。

 

大部屋は今の二人部屋の広さの部屋を、4人で使うことになるため、単純に自分のスペースは今の半分。

 

現在豊富な家具と、余りあるスペースに、

 

こんなに要らない。。笑

 

とは思っていたものの、いざ移動してみると、

 

 

ああ、懐かしきこの手狭感。笑

 

 

物を置けるスペースがぐっと狭くなりました。

家具は通常営業の収納付きテレビ台のみ。

あとは面会用の椅子一脚だけ。

 

まあもはや面会できないんで、物さえ置ければいいんです。(ふてくされ)

 

しかし、やはり生活音は同室者が一人だったときから一気に3倍に💦

 

みんな、なるべく音を殺しながらも、色々な音が聞こえてきます。

 

食事の音

何かしらの勉強をされているのか、筆記の音

ため息

モニター音

 

などなど。

 

転院前の病院は大部屋だったため、そこまで抵抗があるわけではないですが、やはり少し自由が無くなった感じはしました。

 

 

娘とテレビ電話がしたいけど

 

転院前も大部屋でしたが、


・破水による行動制限

・面会制限

 

が、前とは異なっています。

あきはママ、破水してしまったが故に、安静度は『トイレまでの歩行のみ可』です。

 

となると、電話をしようと思ったら

 

大部屋ではNG

→電話可能なデイルームに

→自力では無理

→ナースコールをして、車椅子でお願いする。

 

という手段を取らざるを得ません。

 

しかもデイルームにはナースコールは無いため、だいたいの時間を伝えておき、その時間に迎えに来てもらう形です。

 

毎日娘にテレビ電話してあげたいけど、結構なハードル。。

 

しかし、デイルームは移動した個室の真横にあります。

 

そこまでならトイレに行く距離と変わらないのでは?

 

と看護師さんに相談してみました。

 

すると看護師さんも

 

「本当だね!間違いないよ。距離ほとんど一緒だし、いつでも好きな時間に電話したいよね。」

 

と、ドクターに確認してくれました。

 

しかし、たまたま土曜日で担当のチームのドクターが誰もおらず、、

容易には安静度は変更できないとのこと。。

 

看護師さんもかなり粘ってくれました。。

 

ただ、回答は変わらずで。。

 

「何回か聞いたけどやっぱりNGだった。

ごめんね。

また週明けでちゃんとチームのドクターに聞いたらOK出ると思うよ」

 

と申し訳なさそうに言ってくださる看護師さんを見ると、

 

 

また自分のわがままで迷惑をかけている

 

 

という気持ちが溢れ出てきてしまい、、

 

回復していなかった情緒不安定が再燃

 

大部屋で声を殺して泣き続けていました。。

 

 

すると

 

 

恐れていたことが。。

 

 

ハリの復活

 

なんだかお腹のハリが多いと感じてはいましたが、モニターを付けると3分おきに張っています。

 

急いで内診。

 

子宮頚管の長さはまだしっかりあるけど、子宮口も少し開きかけてるとのこと。

 

私が泣いてるから赤ちゃんも情緒不安定になっちゃった💦

負担かけちゃった。。

 

それで悲しくてまた泣く。

 

もう情緒不安定の無限ループです。

 

これはまずいと一大決心。

 

『すみません!

移動してもらったばかりなんですが、情緒不安定で、ハリもたくさん出てきてしまったので、少しでもリラックスできる環境にしたいです。

個室への移動をお願いします。』

 

診察前後も泣き通しだった私の希望はすぐ聞き入れてもらえました。

 

わずか3時間の大部屋での滞在。

しかもずっと泣いてる。

同室になった皆様にこそ、精神を乱すようなことをして申し訳なかったと謝りたいです。

 

個室へ

 

そして移動した個室。

あまりもう何も考えずなるべくリラックスして過ごしたところ、、

ハリが徐々に収まってきてくれました。

 

幸いにも陣痛に繋がることはなかったです。

本当によかった。。

 

お金のことを考えると、どうしても躊躇ってしまっていた個室。

しかし、まだ26週という段階では、1日でも安定して過ごせるための費用と考えると、出し惜しみしてる場合ではないと自分の中で結論づけました。

 

ここで、毎日心安らかに、お腹の赤ちゃんとのひと時を大切にしていこうと思いました。

 

その日の夜はもちろん娘とテレビ電話。

ベッドに横たわったまま、心置きなく話すことができました。

 


f:id:akihamama:20200321173718j:image

 

写真はホワイトデーに旦那さんが差し入れてくれた手作りのスイートポテト。

情緒不安定な中だったため、

嬉しくて、、また泣いていました。笑